は叫ぶのをやめていた。
涙だけを静かに流し、しかしその涙は地に落ちる前に氷と化す。
自ら泣くことを禁じ、禁が破れてなお、涙で地を濡らすことも叶わないのか。

(・・・)

マーカーの炎の壁を抜け、極寒の中で炎を纏い、アラシヤマは少しずつに近づいていった。
冷風凄まじくなかなか前に進むことができない。

「ううっ・・・」

が何かを振り払うように頭を振る。
その目が見ているのは現実か、それとも。

「・・・っ・・・!」

冷気が増した。
もはや氷の国。南国のはずの第二のパプワ島に、史上初めての冬が訪れている。
島のナマモノたちもこの異常事態になんとか身をかくそうと奔走しているが、このままではおそらく凍死だろう。
アラシヤマは、自らの炎がゆらぐのを感じ立ち止まった。ここで自分が凍ってしまったら、どうしようもない。
そのとき、の唇がわずかに動き何かをつぶやいた。
吹雪にかき消されながらも、アラシヤマはその声を確かに聞いた。

「アラシヤマ・・・ッ!」

が自分に助けを求めている。
ほかの誰でもない、自分に。

「・・・ああ」

冷気など、かまうものか。

「!!!」

力に逆らい、喉も裂けよとばかりに叫ぶと、何かの呪縛から解かれたようにの目に生気が戻った。
一瞬呆けて、はっとアラシヤマに気づく。涙は流れたままだ。

「ア・・・アラシヤマ・・・」

「、大丈夫どすか!今・・・」

「だ、だめ!来ちゃだめだっ!」

止めるを無視して足を踏み出す。
また冷気の威力が上がった。の感情に呼応している。
ぐっと足に力を入れ踏みとどまる。

「・・・今行きますさかい・・・」

「やめて、やめてよ!アラシヤマも凍っちゃうだろ!止まらないんだっ!泣きやめない、感情も力も、コントロールできないんだよぉっ!」

「わ、わてがこの程度で・・・凍るわけあらしまへん・・・やろっ」

「もういやだ・・・なんで私は・・・。もう、大切な人を傷つけないと誓って、それなのに・・・」

「・・・」

「・・・アラシヤマ!私を殺して!じゃないとこの島ごと凍ってしまう!」

殺してと、言うのか。その口で。
助けを求めてくれた、その口で。

「阿呆なこと言うんやないっ!わてが絶対なんとかしますさかい、待っとりなはれ!」

また一歩足を進める。
本当に少しずつしか進めない。風と冷気に押し戻されてしまいそうになる。
それでも確実に近づいて行く。退きはしない。

「来ちゃだめだったら!!!ああ、近づいたら、余計に力が・・・止まってよ!」

「し、心配しなくても、わては・・・こ、これくらい、で・・・」

「やだ・・・やだ、やだよ・・・あっアラシヤマぁあああッッッ」

アラシヤマの動きが止まった。
二人の距離、わずか半歩。
腕で体を庇うような体制で、体からは炎が消えていた。

"凍っている"。

「・・・そん・・・」

そんな、と言おうとした口が動かない。
それはまるであの日だ。
父と、母を。
殺したあの日。

「ア・・・ア、アラシヤマ?・・・ねぇ、アラシヤマ・・・」

返答を、待っている。
いつものように優しげに発せられる自分の名を。
だが耳の奥で鳴ったのは、渇いた風の音だった。
寒さの混じった冷たい音。
さらにもう止められないほどの力になって行くのがわかるのに、どうすることもできない。
いや、もうどうでもいい。

アラシヤマ。

あなたがいなかったら、それは空気がないのと同じことだ。

「またわたしのせい」

涙。涙。涙。
それはとどまることを知らない川のようで。

「私が大切な人なんて思ったから」

役に立てただけで幸せ。
そばにいられるだけで幸せ。
出会えただけで、幸せ。

我慢できるはずがなかった。
しかしそれを想ってはいけなかったのだ。

私に出会ったのがあなたの不幸だったのだとしたら。

「好きになんてならなければ・・・」

「それは困りますわ。せっかく両想いどしたのに」

次の瞬間、口から温かいものが広がり、の体全身を駆け巡った。
あれほどまでに凍てついていた冷気が、その熱によって徐々に収まっていく。
気づけば暴走は止まっていた。

何が起こったのかわからず目を見開いたから、アラシヤマはそっと体を離した。

「・・・うまくいきましたな」

「ぅえ?」

「いやー、を傷つけず体内に熱を入れるにはこれぐらいしか思い浮かびまへんどしたさかい」

そこでやっと、は自分の唇に触れていたものがアラシヤマのそれだったのだとわかった。

「キ・・・」

恥ずかしすぎてそれ以上言えたものではない。
しかしが何を言わんとしているのかわかっていたらしいアラシヤマは、困り顔で頬を掻いた。

「ええと・・・実を言えばわて、とのキスは初めてやないんどすけど・・・。ま、両想いやってたんやから、許して・・・」

「りょ、両想い?」

言いよどむアラシヤマの語尾をさえぎり、は自分の耳に入ってきた単語を聞き返した。
まさかまさか。自分の聞き間違いだろう。
しかしアラシヤマはあっさりと首を縦に動かす。

「へぇ」

「誰と誰が?」

「そりゃ、わてとあんさんでっしゃろ」

きょとんとして、がアラシヤマの顔を見上げる。
しばらく考えた末、さらに疑わしげには言った。

「うそだぁ」

「うそやないどすわ」

「うそだって」

「うそやないどすって」

「だって今まで全然そんな態度なかったじゃないか!」

「そっ!それはあんさんも同じでっしゃろ!ずぅっとわてにだけ敬語使て!」

「それは周囲に変に意識させてアラシヤマに迷惑かけまいと!・・・それに」

昨日の洞穴でのことが思い出される。
自分は足手まといなのではないかと思っていた。

「私が過呼吸で倒れたって言ってたときだってこっち見てもくれなかったし・・・」

「・・・だからっっ」

うつむくに頭をがしがしと掻き、アラシヤマは顔を赤くして関を切ったようにしゃべりはじめた。

「それは恥ずかしくて顔あわせられへんかっただけどす!あんさんが過呼吸になったとき、わて慌ててどうにかしよ思てあんさんの口を口で塞いで!」

過呼吸を起こしたときの対処法としては、頭から袋か何かをかぶせればいい。
しかし慌てたアラシヤマは、自らの口での口を塞いだのだという。
頭の中で人工呼吸と混ざってしまったらしい。

「せやから罪悪感やらなんやらで顔むけできひんかったんどすわ!その場で言うのも気がひけるし・・・だ、第一は、女の自覚がなさすぎます!」

「へ?」

突然責められ、なんのことやらわからない顔のに、アラシヤマは指を突きつけた。

「森ん中のときかてそうや!普通おなごが付き合ってもいない男に膝枕なんかしまへんやろっ!」

がコモロを引っこ抜いたあと、マーカーから受けた理不尽な火傷を冷やしてくれていたときだ。
まったくためらいもせずに膝を出して、しかもさりげなく言及しても気にもとめない。
このままでいたいという欲求と戦い、ぶっちゃけまだ痛む火傷を堪えて立ち上がったアラシヤマの鼻からは、実は鼻血が垂れていた。
そんな状態を見られるわけにもいかず、道も知らないというのにより先にずんずんと進み、なんとか鼻血を止めてほっと一息。
かと思えば今度はゾンビだなんだと自分に抱きついてくるのである。
まったく心臓に悪いこと甚だしい。

「だって別にそんなの気にすることないし・・・」

は自分の行動を改めて思い出すが、何がいけなかったのかわからない。
別段何かを意識してやった行動ではなかったし、むしろそのあと丸太騒動でアラシヤマに手を握られたことの方がとしては強烈だった。

「付き合ってないったって・・・好き、だから別にいいかなと・・・あ、でも嫌だったってことなら・・・悪かった」

「ああもう、ちゃいますやろ!両想いなんやから!」

の頭を、アラシヤマは少々乱暴に胸に押し付けた。
そのまま抱きすくめる。

「は少し自分の可愛さを自覚すべきどすわ・・・」

「アラシヤマ?」

胸の中でが小さく言う。

「・・・なんどすか」

「生きてるよね?」

「はは・・・まったく話題が跳びよりますな」

「生きてるよねぇ?」

「わては凍ってなんかあらしまへんで。体内で熱を作るのに集中しとっただけどす。それにちょっと手間取ったんどすわ」

「よかった・・・よかったよぅうう・・・うわあああああああん」

言い終わらぬうちに、いつの間にか乾いていたの涙が再び流れはじめる。
しかしもう力は発動しなかった。
先ほどの暴走で、今まで堪っていたものを全て放出しきってしまったようだ。
は安心してアラシヤマにすがりついた。
暖かいぬくもり。冷え切った体に、その体温はとても懐かしく感じた。



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