手の中のトンボは氷付けになり、日を反射してきらきらと輝いていた。
はそれにうっとりとみとれ、母に褒めてもらおうとそれを見せに行った。

「おかーはん、みて。きれいでっしゃろぉ!が"つくった"んやでー」

台所に立つ母に、自慢げに氷のトンボを差し出し言う。
しかし笑って褒めてくれると思った母の顔は引きつっていた。
恐ろしいものでも見るように、氷のトンボを、を見た。
そのわけがわからないでいると、母は我に返ったように急いで吹き零れた鍋の火を止め、に言った。

「、いい子やから教えておくれやす。そのトンボを、その・・・こ、氷づけにするとき、誰かそばにいてはりました?」

「うん。みんなにみせてあげたんやけど、これつくったらみんなきゅーにようじあるってかえってしもうたわぁ」

「・・・、もうお友達の前でそれやったらあきまへんえ」

「なんでぇ?すきなものはみーんなこぉらせるんや。そうすれば、もうどっかにいってまうこと、あらしまへんやろぉ」

「、お願いやから・・・」

「トンボやってこうしなかったら逃げてまうしー」

「・・・」

それは生まれたときからの中にあった。
感情が高ぶれば、自然と表に出てくるそれ。
にとってはそれがあることが普通で、むしろどうしてみんなはその力を使わないのかと不思議だった。
みんなが持っているモノだと思っていたのだ。
だから小学校にあがってからも、その力を使うと母がそれをやめるように言うのが何故なのかわからなかった。

(はおかしい子なんやろか)

そう思い、それを両親に言うと、決まって両親は違うよと言ってくれた。
それと一緒に、お前は絶対に泣いてはいけないよ、とも。
感情を表に出してはいけない。怒ってはいけない。
は、自分が生まれた頃に凍傷で指を失くした母の手と指切りをした。
両親の言うことだからと、幼いはそれを懸命に守ろうとした。
だが、幼子の自制心などたかが知れている。
ある日喧嘩した友達をあやまって氷づけにしてしまったとき、たち一家は逃げるように引っ越した。
新しい土地で、は京都弁を使うことをやめさせられた。
前にどこに住んでいたかも言ってはいけないと言われた。
どうして?と聞けば、両親は首を振り、お前は悪くないんだよと言うだけ。
しかしその両親の顔は引きつっていた。子供だからこそ誤魔化しはきかない。
は段々と自分の力・・・特異体質と、両親に不満や疑問を抱くようになっていった。

きっかけは、ほんとうにささいなことだった。

は反抗期真っ只中の年頃であった。
ただ普通の子供のように、あのおもちゃがほしい。そう思っただけだったのだ。
しかし母に駄目と言われ、むくれて家に帰ったあともせがんだ。

「どうしてもほしいの!お願い、なんでも言うこと聞くしいい子にするからぁ!お母は・・・お母さん!」

それでも駄目と言われ、しかしどうしてもあのおもちゃが欲しい。
そう思った子供が、親に言うことをきかせようとしてする行動などひとつしかない。

「やだー!ほしい、ほしいよぉー!うわああああああん!」

は泣き叫んだ。
いつも泣くのは絶対に駄目だと言われている。それがどうしてかはわからないが、きっと自分が泣くと困ることがあるのだ。
泣けば、きっとあのおもちゃを買ってくれる。
そう頭の隅で稚拙な計算をしながら、は泣いた。
思ったとおり、両親のあわてた顔が視界に入った。
もっと泣けば、きっと言うことをきいてくれるに違いない。
泣き止みなさいと言う父の言葉も聞かず、は泣いていた。
そうするうち、何かがおかしいことに気づいた。

泣きやめない?

どうやってやめればいいのだかわからない。かってに喉がしゃくりあげる。
今までこんなに泣いたことはなかった。どうすればいい?どうすれば泣きやめる?
助けを求めて探した両親の顔に浮かんでいたのは、恐怖だった。

「いやああああああああああっ・・・!」

それを発したのは、母だったのか、自分だったのか。

翌朝、新聞や報道は競ってこの異常事態を取り上げた。

『怪奇!町ひとつが氷づけ!?凍死による犠牲者多数』

写真やテレビには、の住む町が写っていた。
何故かその町だけを異常なまでの冷気が襲った。これは怪現象だと。
様々な憶測が飛び交ったが、は知っていた。

これは自分の体質が呼び起こしたことだ。
冷気がこの町だけを襲ったわけではない。
それはただ単に、の今の能力の限界が町ひとつ分の範囲だったというだけだ。



どのくらいそうしてたたずんでいただろう。
はうつろな目で、目の前の氷づけの両親を見た。
あの氷のトンボのようにきれいな両親を。

『すきなものはみーんなこぉらせるんや。そうすれば、もうどっかにいってまうこと、あらしまへんやろぉ』

「もう・・・どこにも・・・」

大好きな両親は、もう完全に凍っている。眼には生気はない。
あたりまえだ。元凶の自分の、こんなに近くにいたのだから。
しかし氷のむこうの父と母は、まるで生きているようだった。
耳をすませば、その声が聞こえそうなほどに。

『化け物!』

「化け物?・・・そうなんやろか・・・は・・・」

『、京都弁を使ってはだめよ』

「あ・・・お母さん、ごめんなさい」

『、怒ってはだめだ』

「・・・ごめんなさいお父さん」

『力を抑えなければいけない』

「ごめんなさい・・・」

『友達にそのことを話してはいけない』

「ごめんなさい・・・」

『絶対に、泣いてはいけない』

「・・・もう、泣いちゃったよ・・・」

空想の両親と話しながら、は凍った床に横たわった。
精も根も使い果たし、泣き疲れている。
このまま眠ればそのまま起きなくてすむかもしれない。そうしたい。
そう思い目を閉じたの身体は、ふいにふわりと浮き上がった。
驚いて目を開ければ、金髪碧眼の男に抱きかかえられている。
男はと目が合うと、にこりと笑った。

「私はマジック。君はくんだろう?おや、写真と違って髪が白いね」

「え・・・」

「はっはっは、君は泣くことで最大限に力を発揮するようだね。赤子の頃はさぞ大変だったんだろうが。これは、君がやったんだろう?」

男が指したのは、この町のことだろうか。それとも両親の。
あるいは、その両方か。
は重力に逆らわず、首をこくりと落とした。

「素直な子は好きだよくん!それに君は美少年だからね。我がガンマ団にくるといい。歓迎するよ」

「ガンマ団て・・・?」

自分は男ではないと反論するのも忘れ、は疑問を口にした。
泣く子も黙るガンマ団とて、子供の間での知名度はあまり高くはない。
男はきょとんとすると、参ったと言うように額を叩いた。

「これは失礼。そうだね、一言で言えば殺し屋集団かな」

殺し屋。それはテレビドラマなどの中でしか知らない言葉だった。
恐ろしいイメージを一瞬抱いて、はそれを打ち消した。
何を怖がる必要がある?自分がやったことはそうではないとでも言うのか。

ばけもの、と、ひとごろし。

それはの中ですとんと枠にはまった。ぴったりだ。
自分が役に立てるというなら。
両親は死んだ。自分が殺した。ほかに行くところはない。ひとりは嫌だ。
選択肢など、初めからありはしない。

「いいね?」

同意を求められ、はまたひとつ頷いた。
もう失うものはなかった。

マジックに抱きかかえられゆれながら、は氷のトンボをつくったときのことを思い出した。
トンボが氷に包まれたとたん、子供たちはそわそわと家に帰っていった。
あのとき静かに、しかし確かに子供たちの口からささやかれていた化け物という言葉を、は聞いていた。
何故気づかないふりなどできたのだろう。

それは自分のことじゃないか。

こんなやつは、世界できっと自分独りだけなんだ。



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